食べて、祈って、恋をして
ジュリア・ロバーツ主演のこの映画を観たときは、すごくドキっとした。
多分大多数のか男たちは「スピ系のアホ女の話」だと歯牙にもかけないだろうけど、私には、彼女が結婚から逃げ出すシーンが他人事に感じられなかった。
久しぶりにイタリア語の勉強をしてみようかと思った時に、この映画のことを思い出した。
離婚して(自分から離婚しておいて、なのだが)ヨレヨレになった主人公はイタリア語の勉強をすることで現実から逃避するのだ。(あとはヨガと瞑想と若い男。そこは美人の特権。)
私も大昔、人生で一番苦しい失恋をしたとき、語学をひたすら勉強した。好きだった人が語学が好きだったから、というのもあるのだが、語学の勉強に没頭していれば、他のことを忘れられた。他のことは何もしたくなかった。何を食べても砂を食べているようだったし、世界は灰色だった。ただ、語学の勉強をしていれば時間が過ぎてくれた。気づくと何年勉強しても越えられなかったTOEICの壁があっさりと抜けてたし、何年もマンツーマンレッスンに通っても全く話せなかったのに、旅行して列車のコンパートメントで乗り合わせた乗客とたどたどしく会話したり、電話でチケットの手配が出来る程には英会話も上達していた。
というわけで、失恋の癒す一番の方法は語学の勉強だと、自信をもっておすすめする。
話を戻す。
手元にあったこの映画の原作を読んでみようとパラっとめくると、そこには冒頭から、結婚から逃げ出したくてたまらない主人公の独白があった。
「これ以上、結婚生活を続けたくない。この大きな家に住みたくない。赤ん坊なんて欲しくない。」
そう、主人公は「産みたくない女」なのだ。
私がこの映画に共感したもう一つのパートがこれだった。
映画の中では大親友が子供を産んでも、自分は欲しくないということを嫌というほど実感させられる様子が描かれていた。
この映画、男性にも受けなかったが、ひょっとして大多数の女性にも受けなかったのでは?
ただ、イタリアで美味しいイタリア料理を食べて、ハンサムなイタリア人家庭教師といちゃいちゃして、インドでヨガして、タイで占いして、と、一見女子の好物をこれでもかと詰め込んでいるのだが、多分一番根本の部分、「で、なんで離婚したの?」というところで、おそらく大多数の女子の共感が得られなかったはずだ。
でも私はわかる。
もうこの年になると共感は少し鈍くなってしまったけど、あの頃の私には痛いほど主人公の気持ちがわかった。
結婚したくない、自由でいたい、子供は欲しくない。
子供が欲しくないという女がわがままだと叩かれるのも仕方ないと思える。
しかしこれだけはっきりと自己主張してくれる女性がいて、またその本がそれなりにベストセラーになり、ジュリア・ロバーツ主演で映画化までされるのだから、世界には私たちのような女が一定数いるのだなと、ちょっと安心したりした。
もう一度じっくり、原作を読み返してみることにしよう。