選択しないこと

麻生圭子について検索してる時、たまたま43歳でひと回り年下のスペイン人男性と結婚して、卵子提供により49歳で双子を妊娠した女性のブログに行き当たりましました。

https://tokyolifewithcatalan.blogspot.com/2020/03/1627.html?m=1

49歳で出産!(ブログ時点ではまだ出産前でしたが、今はもう可愛い赤ちゃんでしょう)
凄いなー。この辺は海外の方が、完全に進んでます。そりゃ日本の少子化が止まらないのもむべなるかなですね。

そういえば坂上みきさんも50歳過ぎてからの出産で、卵子提供と言われてます。坂上さんも外国人のパートナーなので、やはり国による感覚の違いとしか言いようがないですね。海外では、お金さえ許せばトライする人も多いのでしょう。

話がちょっと脱線しますが、大昔、小柳ルミ子大澄賢也と結婚した時、その年の差…13歳年下…に随分と好奇の目でマスコミ=ブラウン管(当時)の向こうの主婦に叩かれました。色気づいた中年ババアが金で男を買ったというようなニュアンスでしたね。でも今確認したら、当時のルミ子は37歳ですよ!今なら全然現役扱いでしょう?(キャバクラだと熟女枠ですが。)時代の移り変わりを感じる令和2年の初秋です。

話がそれましたが、そんなわけで超高齢出産も、卵子提供も、精子提供も、代理母も、LGBTの結婚も、あと30年もすれば普通のことになっていくんだと思います。
その時自分がまだ生きてたら、あー、私もその選択をしておけば良かったなーなんて思うのかな?
今の自分は、それこそ更年期の入り口で自分が生きるだけでも精一杯なのに、出産育児なんてとてもとても…と、想像もできないんですけどね。

作詞家の女(ひと)

退職して、有り余る老後の時間を何に使うかはひとそれぞれ。
若かりし青春時代を振り返り、まだまだ衰えない知識欲で、その頃は言語化できなかった魅力を埋めて反芻していく、そんなブログに出会った。
その中にたまたま麻生圭子についての記事があがっていた。つくづくこの人とは趣味が合うのである。
私が彼女を明確に認識したのは、ワイドショーに出ずっぱりの売れっ子だった彼女が、当時としては「晩婚」して京都に引っ越したというニュースからだったように思う。
美人作詞家、人気コメンテーターというだけでも羨望なのに、結婚相手は大学教員、京大出身の建築家。私のツボをつきまくるエピソード満載。
しかも、京都で始めた新生活は町屋暮らし。その感性を遺憾なく発揮して、京都に住む外人のような素敵なインテリア、ライフスタイル。今思えばスローライフの走りである。なかなか随分早かった。
しかしふと気づくと著書も目にすることがなくなって早十数年…。

そんな彼女も子供はいない。一時はロンドンに移住したりもしたようだ。57歳で海外移住なんて、なんてバイタリティ。
町屋暮らしは辟易して、今は滋賀の琵琶湖畔暮らし。古い会社の保養施設を改装、大きな窓に囲まれた、まるでここはニューハンプシャー?とでもいうような素敵な暮らしぶりである。あの雑誌、このWEBマガジン、彼女のこと、もっと取り上げた方が良いんじゃない?

作詞家といえば、安井かずみも、阿木燿子も、この麻生圭子も子供に恵まれなかった。
来生えつこは結婚されてるのでどうなんだろう?
私の作詞家の例が完全に昭和で止まってるのもどうかと思うけど。

コロナの副作用

週末から夫が喉の痛みと頭痛を訴え微熱がある。微熱は1日で引いたようだが、コロナでないと断言できない状況では、コロナであるという前提で看護するしかない。
そこで、夫がトイレに入れば除菌、冷蔵庫を開ければ除菌、ドアを開ければ除菌、と後ろをついて歩き回ることになり、それだけで疲弊して免疫力も下がりまくりである。
一方の夫は夫で、コロナと決まった訳でもないのにバイ菌扱いされ、寝室にも寄り付かない妻に非常に腹を立てておるし、その気持ちもわからなくはない。
そうはいっても、腹を立てる夫に対して、お前が不用意な行動をするからこんなことになってんだろ!と妻のイライラは益々高まる。
妻はこれまで細心の注意を払って、人混みを避け、ランチもコンビニ弁当で済ませ、満員電車を避けるために朝早く起き、夜もまっすぐ家に帰り、スポーツジムも諦め、習い事もお休みして全てを犠牲にして生活してきた。
なのに夫は何度か飲み会に参加し、実家の家族と外食し、極め付けは妻の助言も聞かず花粉症で内科を受診し、隣に酷い咳をして熱が39度もある患者が座っていたとか呑気に報告してくる有様だったのだ。ここに置いて妻の怒りは頂点に達していたところに、この発熱騒ぎである。

多分、潔癖さという点においては男女差があり、往々にして女性の方が潔癖で、病気に対する感度も高い。よって我が家で起こっているのと同様の事象が日本中の家庭で発生しているのではなかろうか。

コロナのPCR検査は確度が低い上に医療機関を混乱させるので多くに実施しないと言われているが、検査をしないことで家庭や社会の不安を却って増長させている。検査で陰性でも安心できませんよという注意をしながら実施する方が余程、社会的には有用なのではないかと思うのだがどうだろうか。

あのひとは違う

安倍ちゃんの晴れ舞台にやってくれましたね、アッキー。
アッキーは子なし代表なのに、イマイチ子なし族の信任を得られてないように思います。
何でかしらね?

でもこのアッキーの過剰に頑張っちゃって露出狂扱いされてる感じ、私の周りの子なし族でもチョイチョイ見かける奇病。

女性は出産やら育児やらで疲弊して中年以降は身体がだらしなく崩れがち。
でも子なし族のひとは主に自分の為に生きてるし、命削って新しい生命を産み出してる訳でもないから、基本、若々しい人が多い。
結婚してても夫とは恋人気分だし、結婚してなければ尚のこと、ラブライフは同年代のお母さん達よりはるかに充実してるだろう。
だから現役感が半端ないし、それを隠そうともしない、というより見せびらかしたがる。

アッキーの場合は単にお馬鹿なだけかもしれないけど。
私は自由!フリーダム!!とか言ってそうだよね。
系統としては若乃花の元妻の美恵子とかに一直線。
行き過ぎると高樹沙耶だから気をつけて。

でも、私にはわかるわよ、アッキーがあの素っ頓狂なドレスを選んだ理由。
あれ、絶対マクロンの嫁の影響受けてると思う。
マクロンの嫁のブリジットはもう60半ば、アラカンどころかアラ古希なんだけど、美脚自慢でいつでもパンツ見えそうなくらいのミニスカ履いてるの。
そりゃ高校生スケこますくらいの女ですから。見ました?奥さん!あら、お下品で失礼。

明確に意識してないとしても、何処か潜在意識にすりこまれてるのよ、アレが。
だからあんなアホみたいに高いヒールに頭おかしいミニスカ合わせちゃってんだと思うわ。

あの盛り袖の生地、絶対スカート丈詰めた分をデザイナーがやけくそでくっつけたに違いない。
こんな仕事、やってられるか!・・・ってなるわな、そりゃ。

知恵袋の中の同志へ

目下私を悩ませるというか、泣かせる事案についてgoogleさんに聞いてみたところ、この相談がヒットした。

クリスマスは嫁より姪を優先する夫
https://soudan1.biglobe.ne.jp/qa8359705.html

置かれてる状況がほぼほぼ同じで、彼女のコメントに対する返信が私の感じる罪悪感と完全にシンクロして、読みながら号泣してしまった。
結局、質問者はどんな風に心の整理をしたのか、とても聞いてみたいが、何しろ6年も前の質問なのでどうしようもない。

しかし小町など見ても、夫が姪にべったりなことを不快に感じる女はソコソコいるようだ。

とはいえ、相談者のほとんどは嫁姑関係の延長戦、もしくは婚家という他人が自分の家庭にズカズカ踏み込んでくる不快感の方がメインの感情なので、私とはすこし違う。もちろん自分が同じ立場なら、全く同じように不快に感じるだろうけど。

私達…とあえて言うけど…の根底には子供ができない、子供を与えてあげられない夫に対する罪悪感がある。それが、夫とは家族になれないという疎外感に繋がって、姪や甥に対する愛情が自分への愛情を上回っていること…それが客観的な事実かはともかく…に深く傷つくのだ。
私はいる?
そうでなくてもお荷物のように感じられる自分の存在を、日々の生活の中でチクチクと否定され続ける感じ。

いい加減、涙も枯れてきたので今日はこの辺で。

愛する人

この映画は何年も前、まだ独身の頃に一度観ているのだが、最近Gyao!でやってるのでもう一度観てみた。

前回観た時も心に残るいい映画という印象があったからこそ2回目なのだけど、今観ると心がえぐられるように苦しくなってほとんど最初から泣きっぱなしで、これは明日顔が大変なことになるし、夫が帰ってきたら怪しまれると、途中で視聴を断念。

主人公のカレン、エリザベス、ルーシー、3人の女性のそれぞれに魅力的。
自分が養子を育てるかといったら、今となってはそれは無いと思うけど、昔は養子を育てたいと思っていた時期がある。自分の子供は作らないと心密かに決心した頃、でも恵まれなかった子供の助けになってあげたいと思っていたのだ。若気の至りですね。

ルーシーの夫が、自分の子供が欲しいというシーン、辛かったな。普段ならあそこで一番泣くだろうけど、この映画は最初から最後まで泣き所満載で辛すぎて、あのシーンが左程こたえなかったくらい苦しい映画だ。
いい作品なんだけどね。身につまされすぎて…。残りは夫がいない時に観よう。

どうして電車の中で携帯電話で通話してはいけないのか

電車の中で携帯電話の通話はご遠慮くださいなんてアナウンスが流れる国は世界広しといえど日本だけのような気がするのですが、どうでしょう?少なくとも私が旅行した国でそんなとこ皆無。イタリア人なんて狭いバスの中でも皆のべつまくなしに大声で通話しまくりで、五月蝿いことこの上ない。

でも、確かに電話の通話って、普通の会話より耳障り。あれが朝の満員電車で野放図になるとか考えただけで鬱。

夫の姪が年がら年中夫に電話をかけてくる、といっても相手はまだ幼稚園児。つまり掛けさせてるのは母親。姪馬鹿の夫はいつもデレデレで長電話してる。
何かそれが、家族の時間を土足で踏み荒らされるような感じがするんだよね。

私の心、狭すぎ。
でも、まるでそこだけが家族ですって感じで、夫を盗られたような気がするの。
家族の線引きされてる感じ。凄い疎外感。私だけが1人ぼっち。
だいたい、兄弟を毎週毎週呼び出すって、何て図々しいんだろうって思ってしまう。夫婦で過ごせる時間は限られてるのに、その半分を夫の兄弟に奪われるとは。
でも向こうに言わせればお前が子供を産んであげなかったから、擬似子育てさせてあげてんじゃんて感じなのかもね。

夫は私のたった1人の家族だけど、血が繋がらない他人は所詮他人。
最近いつも独りぼっちになった時のことを考えてしまう。両親が居なくなった時のことを。
耐えられるのか自信がない。

子供を産まなかった罰だね。