ひとさまの離婚の理由
私の友人に、子供ができなかったことを理由に離婚された人がいる。
彼女の嫁ぎ先が古い考えのおうちだったらしく、執拗ないじめにあい、夫も義母のいいなりになり家を出ていった。
彼女は最後まで抵抗したけど、別居期間から裁判所は離婚を認めた。
子供ができない可能性が高いことは初めからわかってて結婚したのに、それでも離婚する夫婦がいる。
そんな話を聞くと、切なくて我が身を切られる思いがする。
日経新聞の浅丘ルリ子の私の履歴書で、石坂浩二の離婚に至る顛末を語った回を読んだ時も、私は会社のデスクで新聞を広げたまま、しばらく動けなかった。
石坂は子供が欲しいからと、浅丘ルリ子に離婚を切り出したらしい。
それも浅丘がもう子供は産めないとわかっている歳になってから。
それ以来、私は石坂浩二が大嫌いになった。
だが当然、逆のパターンもある。
これまた知人の話だが、彼女はどうしても子供が欲しかったのだが、夫が首を縦に振らない。
残された時間が少ない彼女は悩んだ末に離婚を選択した。
これまた別の知人は、男性だが、やはり子供が欲しいという妻と欲しくない彼の間に溝ができ、大喧嘩の末、離婚した。
ところで、この人達に共通していることが一つある。
石坂浩二も、私の後半の知人ふたりも、子供が欲しい、または欲しくないと言って、離婚した人は、結局、その後も子供を授かることはなかったのだ。
特に私の知人の最後の男性などは、子供が欲しくないといって離婚したにもかかわらず、再婚したら子供が欲しくてたまらなくなり、何度も体外受精を試みたにもかかわらず、結局、子供を授かることはなかった。
これって何なんだろなぁと思うのだ。
ただの偶然かもしれない。
それほど子供ができるということは奇跡なのだとも言えるだろう。
だけど、迷信じみたことを考えてしまう私はどうしても思ってしまう。
因果応報。
人を不幸のどん底に突き落としておいて、自分だけ幸せになろうなんて、そんな利己的な人間には親になる資格はないと、神様が采配するのではないだろうか。
とはいえ、では子供が授からない夫婦は皆、親になる資格がないのかといえば、そんなことはない、むしろ人間性を疑うような親は例を挙げるまでも無く掃いて捨てるほどいるし、子供が欲しくて離婚してちゃんと授かる人もいるから、単に私が都合の良いバイアスをかけて例を挙げてるだけなのは重々承知しているけれど、でも、時々、そんなことを思ってしまう。
私に子供がいないのは私の因果。
でも彼に子供がいないのは何の因果なんだろうと。
考えても不毛なことなのだけど。