わたしの容れもの

角田光代のエッセイが好きだ。

といっても、今この記事を書き始めて気づいたのだが、私が彼女のエッセイが面白いと意識したのは、まさにこの本の作品を連載していた幻冬舎のフリーマガジンを手に取ったことがきっかけなのだから、角田光代が好きなのではなくて、角田光代が書く健康モノエッセイが好きなだけかもしれない。

ちなみに自分で意識しているわけではないのだが、私が好んでエッセイを読む女性作家はほとんど全員といっていいほど、子供がいない。

山本文緒群ようこ岸本葉子酒井順子・・・もっとも後ろにいくほど、それがほとんど商売道具のようになっていくので、意識していないというのは明らかに嘘になるのだが。

こじらせてるから好き、こじらせてるから子供がいない、という因果関係なのだろうか。

 

そういう訳で、私は実は彼女の小説を読んだことがない。

だから彼女が子供がいないことについて、何か、それを逡巡するような作品を書いているのかどうかも知らない。

ただ、私が読んだ限りのエッセイでは、ほとんどそのことを、特にネガティブな調子で書いたものを読んだことがない。欲しいのか欲しくないのかすらよくわからない雰囲気だ。

好きなことをして、仕事をして、気がついたらいませんでした、という風情なのだが、決してそんな訳はないだろう。作家ほど内面と嫌というほどに向き合う仕事はないはずだから。

 

とにかく彼女のエッセイはドロドロしたものが少しもない。まるで男の人が書いているような淡白さだ。

どこかのロックミュージシャンと結婚してたから、意外と女女してる人なのかしらと思ったりもするが、作品を読む限りそんな風情は微塵もない。

仕事のスタイルなど、まるで村上春樹を思わせるものがある。

 

この作品は本当に面白くて、共感するところに赤線を引いていったら本が真っ赤になりそうなくらいである。

40代後半からの女性が感じ始める肉体的変化、それ以前からも、女性が徐々に感じる老いの感覚、全てを非常に細かく拾い上げていて、そうなのそうなのそうなのよ!と女性同士なら手を取り合って同調し合うトピックが満載である。

 

あっさりした食べ物が好きになったり、ぎっくり腰になったり、ダイエットしてもちっとも痩せなくなったり、年を取るほど欠点が強調されていったり、自分の容姿が昔ほど悩みの種でなくなったり、若い子がただ若いというだけでものすごくキラキラしてみえたり、老眼がすすみ小さな文字は読みづらくなり、集中力は低下し本を読むスピードは落ち、更年期におびえ、白髪に悩まされ、寒がりになり、身体のメンテナンスに金をかけ、手の甲を見ては老いを実感し、サプリに走り、エクオールを飲み、肌はかさつき、やたらと食べ物をこぼす。

どれもこれも思い当たりすぎて、中年女性のリアルがすべて詰まっているなと思う。

 

 

しかし多分、子育てで忙しいお母さんたちは、そんな小さな肉体の変化になど構っていられないから、意外と鈍感なのかもしれない。

私たち子なしはありあまる時間と注意を自分の内面や、内面の容れ物にやるゆとりがあるから、小さな変化も気になるし、気に病むし、騒ぎ立てるだけなのかもしれない。

 

今、50歳を超えた彼女がこの作品の続きを書いたら、更年期真っ最中の自分についてどう表現するのだろう。

とても興味がある。

子なしの夫婦が更年期をどう乗り切るのかも、とても知りたいのである。

 

わたしの容れもの

わたしの容れもの